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zoom RSS 新・神田川遡行 19 番外編 高田富士祭で富士山登頂

<<   作成日時 : 2015/08/21 12:43   >>

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今年は7月19日と20日が高田富士祭で神田川逍遥会のメンバーTさんと二人で出向いてみました。
まず関連する古地図(click!)現在の在所(click!)確認します。

境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。
むかし植木職人藤四郎は仲間の富士講の人たちとしろい行衣で身じたくをしてふじ山頂より運んだ岩土で富士塚(約十メートル)を築き、大評判となりました。
そのご、それを真似て江戸中のあちこちに富士塚が造られました。
本物の富士山に登れない人に達が大勢来てそれはそれは大変な賑わいでした。このミニチュワ富士に登って山頂の鐘を「カーン、カーン、カン、カン」とたたきますと今年一年の幸せと安全がかないます。この宮は水に関する商売、防火関係者の信心をあつめ流鏑馬、入学祈願で有名です。

夜が賑やかになるようで、11時でしたから境内は閑散としていました。

しかし都内に130か所もある富士塚の中で登頂(参拝)=登拝が期間限定とされているのは珍しく、神田川沿いなのだから、なんとしてでも行ったみたかった。

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にぎやかに並んだ祭礼提灯が気分を高揚させてくれます。
提灯の間にはサラリーマン川柳、早稲田学生川柳が。

夜店はいわゆる香具師が開くのではなく、水稲荷神社の氏子である地元早稲田のまちの皆さんがダーツやくじ引きといったゲームや、焼そば・焼き鳥・焼とうもろこし・かき氷等にビール・酎ハイ・ジュースといった模擬店で来場者の皆さんに振舞います。

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富士講の祖と言われるのが天文10年(1541年)から正保3年(1646年)まで105年生きたと言う角行。その宗教上の系図で5代目の食行身禄(じきぎょうみろく)が中興の祖。植木職人高田藤四郎はその弟子で安永8年(1799年)戸塚村に模造富士を築いたのです。

祭の主催者もこのような説明板を設置し、由来の理解に努めています。
安永9年、1780年、大先達(おおせんだつ)日行藤四郎が身禄同行(みろくどうこう)という富士信仰の人達(」富士講)と白い行衣を身に着けて、富士山頂の岩や土を運んで、9年5か月の末、ついに富士塚を築きました。藤四郎の富士登拝は、58回ともいわれています。
御山は高さ10メートル、江戸の人造富士中最大最古のものです。
江戸の町民で富士山に生きたくとも行けない人達は、この人造富士山に登って、富士講で富士登山するのと同じ心境を味わうことができるということで大変な人気でした、。これをまねして江戸のあちこちで富士塚が造られました。
御祭日は7月19、20日(毎年海の日とその前日)、ふもとに浅間神社を祀り五合目に小御岳大神を祀っており、毎年富士祭として三日間、御山登拝ができます。
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広重の絵もあるんですねぇ。
富士山の手前に小高い丘がありますが、これは毘沙門堂なのでしょうか。
滾々と湧水が滝のように流れ出しています。
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入口です。
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移築前の貴重な写真が展示されていました。移築作業中の様子か?要塞のような石積はなんだろう?

登山道の入路に浅間神社(せんげんじんじゃ)がありました。
浅間神社をこんなに大きな社にして祀ってある富士塚は初めてです。
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霊峰富士の神社です。富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀る神社である。木花咲耶姫命は古事記にある「海彦山彦物語」にでてくる彼らの母親としてわたしは記憶していました。
立札にもそのお名前が見えます。その隣の石長姫命(いしながひめのみこと)は木花咲耶姫のお姉さんでひどく醜い女性でした。その方も祀ってあるんですね。

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浅間神社の右手にある狭い階段を登っていく。
五合目に当たる場所に祀られた小御嶽
この「五合目の小御嶽」は今でこそ富士塚の必須アイテムになっているのだが、元祖である高田富士をモデルにひろまったのかもしれない。










奥宮
富士山頂にある浅間神社の奥社です。石の手水鉢が置かれています。
これも富士塚にはなくてはならないアイテムです。
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頂上で鐘をたたいて………
神田川逍遥会御一行の「健康と、幸せ、安全を祈って」
カーン カーン
カン カン カン カン
カーン


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頂上から見下ろした風景
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画像下山すると石段わきに
大きな石碑があります。
「諸祖日行藤四郎翁開発霊蹟 富士山北口胎内窟模造修築記念碑」
と記されています。
胎内窟の修築を記念したものですね。
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これが修築後の模造胎内窟でしょう。

そも胎内窟の胎内とは木花咲耶姫の胎内だそうで、聖地なのですが、富士山北口に藤四郎が発見したことになっています。「胎内めぐり」が流行したそうです。生まれ変わるための修業の場、富士講の祖 角行の修業場とされています。

胎内窟は今でも富士山北口にあるのかしら?

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奇怪なお面があった。右はカラス天狗だが、左の馬面風はみかけない。気になるなぁ。















ついでながら「甘泉園」を抜けてきました
甘泉園案内
甘泉園という名は園内に湧水があり、清冽で常時枯れず、またちゃに適したところから起こったものである。
この地は、江戸中期の安永三年(1774年)徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷がおかれたところである。明治三十年ごろ、相馬家の所有となるが、昭和十三年早稲田大学に移籍された。
戦後、都はこの地を買収し、改善の手を加えて昭和四十四年区へ移管した。
庭園は神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地にあって、段丘の高低さを利用し、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。
池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ秋の紅葉が水面に写り、美事な景観を創り出している。
「日本の歴史公園100選」にも選定された。

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