日記風雑読書きなぐり

アクセスカウンタ

zoom RSS 新・神田川遡行 21 高戸橋より神高橋

<<   作成日時 : 2015/08/27 18:05   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 1

画像支流の探索が長くなってしまいましたが、このあたりで本流に戻りましょう。

高戸橋

江戸川橋より続いた緑の遊歩道と心和ませる川の流れはここで終わります。ここからは第一義的に洪水防止の視点で護岸壁を堅固にしている都市型河川の典型、「水路」が延々と続くことになります。
神田川も曲線を描き二つの橋が近接するなど高戸橋交差点へたどり着くとちょっとまごまごしますから
以前の記事につけた俯瞰地図を確認しておきましょう。(Click!)
高戸橋(たかとばし)は神田川140の橋の内下流から数えて35番目の橋です。豊島区高田と新宿区戸塚をあわせて高戸です。図でわかるように急なカーブを描く神田川に明治通り渡しています。
他の橋にはない架設ですが、歩道と車道に加え鉄道の三種の通りからなっています。
新目白通りを走っていた都電荒川線(早稲田三ノ輪間)が交差点で直角に明治通りに方向を変えます。(Click!)

このあたり区境が入り組んでいます。豊島区高田はこの赤線で囲まれた区域です。(Click!)

高田橋

ここから豊島区になります。高田橋は豊島区高田にあります。
画像

画像

高戸橋を渡って左側の流れを覗くと高田橋が見えます。高田馬場分水路吐口と妙正寺川を合流した暗渠の出口が大きく望めますから見逃さないようにしましょう。五つ上流にある新堀橋に高田馬場分水路の吞口があります。高田馬場駅直近の橋・神高橋付近は川幅が極端に狭く、大雨にあうと特に上流では洪水の被害が甚大になっていました。これを防ぐためのバイパスが高田馬場分水路で神田川水害対策の肝となる設備なのです。
写真に見えるように二つの壁で仕切られ、流れは三つあります。左は明らかに神田川本流です。そして中央と右から流出する流れですが、新堀橋から流れ込む神田川と暗渠に入りこんだ妙正寺川だけでなく、落合水再生センターが放流する再生下水の三本が合流しているものです。中央と右と流出口がわかれているので、よく、中央は神田川、右は妙正寺川といわれていますが、わたしの推定では、再生下水を含む三種の流水は途中で混じりあって、区別できないものと思われます。
画像


高田橋は新目白通りを渡します。



画像





源水橋
高田橋より源水橋を見ている。四つ先の神高橋までは中低層のマンション、雑居ビルが背中を見せてびっしりと連なり、護岸工事新しく頑丈なコンクリとの壁に守られた単調な都市型河川の様相があった。橋の欄干には菖蒲と水車の意匠が見える。江戸時代にはこの南側一帯は源兵衛村と呼ばれていた。源水橋の由来から推定すると水車でもあったのだろうか。
画像奇抜なデザインの遊歩道だが、歩行者は右手の道路を歩くため利用する人は少ない。
ところで1973年にヒットしたかぐや姫の「神田川」の下宿はこの川沿いにあたりだったかもしれない。当時は早稲田の学生のために下宿屋が軒を連ねていた。二人の住まいはうら寂れた東京の場末で汚臭が漂う川っぷちの下宿だったのだろう。

画像
戸田平橋
1999年建て替えられた橋だが、元の橋は1919年に架設されている。
戸塚の戸、高田の田と平からなっているようだが、さて「平」とは?この橋の建設に関係した淀橋区議会議員の平野与三吉に由来するという。 画像
右岸の雑居ビル前にこんな記念碑が立っている。
「大正八年竣工 戸田平橋戸塚新道記念碑 従三位北条時敬書」とある。
この程度の橋で記念碑などと仰々しい感じがしました。
北條時敬(ほうじょうときゆき)氏は、大正時代の教育会の重鎮であり、東北帝国大学総長、学習院長、宮中顧問官、貴族院勅撰議員を歴任し、弟子に哲学者の西田幾多郎がいるという人物だそうだ。




戸田平橋から上流をみると人だかりがある。
高塚橋に人の列ができている。
ランチメニューに牛肉でも使っているのだろうか、いつも人気の行列のできる店だという。
画像




画像高塚橋
高田と戸塚で高戸橋だった。戸塚と高田で戸田平橋の次は高田と戸塚で「高塚橋」とはあきれるねぇ。しかし、高田馬場も戸塚も新宿区なのだが高田橋からこの橋も含めてこの間の神田川は豊島区に入っている。高田馬場は新宿区だが、高田は豊島区だからこうなるのかな。行政の縄張り争いか、なんとなく落ち着かない

画像
神高橋
神田川遡行、本日のラストです。

1年前の写真をご覧ください(Click!)
この神高橋の写真左が高田馬場駅前。
手前の青いラインのついた鉄橋が西武新宿線、電車走行中の鉄橋はJR山手線・埼京線。
その間が工事中でしたが今は完成していました。
画像

橋の左手から川面に下りる階段が開放されていました。隣接している戸塚地域センターの親水テラス。子供達に神田川に親しんでもらうため川遊びができるようセットしているようです。わたしとTさんとで降りてみました。ボランティアの人が事故が起きないよう見守ってくれています。私たちも名前を登録してから川の淵に行きました。二組の家族が水遊びをしていました
真上が西武線で、上方を走る鉄道がJRです。上流を見上げますと次に向かう清水川橋と田島橋が見えます。
かつては水害の多発地帯で、高田馬場渓谷の異名がありました。JRと西武線の鉄橋をくぐるあたりは拡張が困難で川幅が狭まり神田川で最も速い流れがあります。
画像

文字通りボトルネックになっているため、上流の洪水の原因にもなっていました。

昭和56年の神高橋付近
画像

これから上流に向かう私たちは神田川水害対策の具体的施設を見学することになります。

隣接の区立戸塚地域センターで資料検討会を行いました。M男さんの依頼で事務員の方が勉強のための場を提供してくれました。ありがたかったです。
このビルには新宿区役所 戸塚特別出張所が入っています。高田馬場はWさんの本籍登録地だったところでこの事務所には時々来たことがあるとのこと、たまたまでしたが面白いご縁です。

暑い中、イヤァ密度の濃い逍遥でした。

反省会は駅前通りの「にへい」にて


大きい地図で見る



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
神田川で、2人が住んでた下宿は、戸田平橋のえんむすびが写ってる写真の左の写真ですね。
さとう
2017/06/05 16:30

コメントする help

ニックネーム
本 文
新・神田川遡行 21 高戸橋より神高橋 日記風雑読書きなぐり/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる