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zoom RSS 秋深し 出羽三山 一日目 畏るべし湯殿山神社

<<   作成日時 : 2015/11/16 22:57   >>

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画像江戸崎小学校の同期生7人で山形、福島をドライブしてきました。10月23~25日、二泊三日の旅でした。出羽の山々は紅葉が進んで、頂上付近は落葉していましたが、ドライブウェイは見事な秋景色のグッドタイミング。まとめ役の高尾君のおかげで史跡巡りも充実した見ごたえあるところばかり。大いに楽しんできました。
朝7時すぎ南浦和駅前で中村君、小林君が交代して運転する車に乗り、東北道を北上する。早速、旅館の主・飯野君が用意してくれた朝食弁当にありつく。結城君、一之瀬君をあわせ7月の江戸崎祇園祭以来の仲間たちである。

東北道から磐越道。まずは三春のデコ屋敷へ
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高柴デコ屋敷
 

彦治民芸
今は郡山市であるが、江戸時代は三春藩領高柴村であったこの地区には三春駒や三春張り子人形など民芸品を作る集落があった。いまこの一帯を高柴デコ屋敷と呼び、人形作りの工房が4件ある。
「彦治民芸」の愉快な主人が三春駒の由来にはじまり色々と楽しいお話をしてくれた。おまけにひょっとこ踊りまで披露していただいき大笑い。

三春駒
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もともと工芸品の三春駒は「高柴木馬(きんま)」と呼ばれた。三春藩領は貧しい藩だったが、唯一 野生の馬がたくさんいたため、その野生の馬を良い馬に改良して藩の産業にしていた。その本物の馬につけていた名前が「三春駒」。 しかし、時代とともに野生の馬がいなくなり、ここ高柴でつくられていた『高柴木馬・高柴子育木馬』がいつの間にか『三春駒』と呼ばれるようになって全国に広まったものだ。
黒駒は、子宝・安産・子育てのお守り、白駒は老後安泰・長寿のお守りとして作られている。
わたしは白駒をお土産にしました。

東北道に戻り、北西へ伸びる山形道を走る。
次のスポットははや山形県内に。
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本山慈恩寺
寒河江市にある古刹。天平18(746)年に、聖武天皇の勅命により、インド僧婆羅門によって開山されたと伝えられている。以降、鳥羽上皇や藤原氏、平忠盛、山形城主の最上氏、寒河江城主の大江氏ら、時代時代の有力者から手厚く保護されてきた。江戸時代には幕府から2,812石余の御朱印を受け、東北随一の巨刹として栄えた。 開山以来約1,300年、積み重ねられた歴史の中で数々の文化財が残されており、平安末期から鎌倉中期にかけて作られた仏像など、国指定重要文化財も多数あります。
重文の本堂を初め、数多い優れた国、県、市指定の文化財を擁して、古代文化の聖地として再生の道を歩んでいる。
木々に囲まれて、重要文化財の本堂をはじめ三重塔、釈迦堂など歴史的建造物が落ち着いた雰囲気の中にあった。
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出羽三山へ

まず羽黒町観光協会のホームページで基礎知識を得ておきましょう。
出羽三山は、山形県の中央にそびえる月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1504m)の総称で、六世紀に開山されたといわれています。三山といっても独立した三つの山があるわけでなく、月山を主峰に、峰続きの北の端に羽黒山があり、月山の西方に湯殿山があります。中世には湯殿山を「総奥の院」(最も大切な場所)として、月山・羽黒山・葉山あるいは鳥海山を称して出羽三山とされました。
日本列島においては古くから、山や川、木や石、動物などを神そのものとする考えや、山や川が神の住処であり、神によってうみだされたものとする考えがあったようです。また人間は神の宿る山から魂を授かり、この世に生を受けて、死後その山へおもむき、神として鎮まるとも考えられていました。高くて形のよい山は、豊かさの源であり、魂の静まる地であると同時に、神聖な場所として、麓のひとびとから敬われていました。出羽三山は古くから東北を代表する聖地として、多くの民衆の心をとらえ、たくさんの信仰を集めて、日本屈指の霊場として知られてきました。
三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)、月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=来世)、湯殿山が来世(大日如来=寂光浄土=未来)という三世の浄土を表すとされます。近世の出羽三山詣では、羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生する巡礼が多く行われ、生まれ変わり(死と再生)の意味をもった「三関三渡(さんかんさんど)」の旅とされました。

とはいうものの例えば「湯殿山の由来」をみれば出羽三山は蘇我氏に追われた崇峻天皇の御子、蜂子皇子の開山とされ、ご祭神は大山祇命(オオヤマヅミノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)とされている。そして真言宗である。
古来の神仏混淆と明治の神仏分離の影響を直接受けた羽黒三山信仰は「宗教」らしさであろう、その考え方は私には理解できない複雑さがある。つまり神なのか仏なのか全くわからない、畏れ多いのである。

そうかこれが清浄神秘の霊域かと寂寥とした異界に身をすくめた
畏るべし湯殿山

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有名な神社仏閣があれば大概は観光地であり、その周りにはお土産屋が軒を連ね、旅館の呼び込みが笑顔を見せている、そんなにぎやかな情景があるものだ。ところが驚いたことに湯殿山神社の大鳥居の周囲には「なにもない」
ここは湯殿山神社の大鳥居のはずだ。湯殿山有料道路の終点、月山に連なる湯殿山麓中腹にポツンと大鳥居があった。山々に囲まれたこの場所は、隣に今晩宿泊する参籠所があるだけで周囲は荒涼として、冬に向かう木々とすすきヶ原だった。ここから参拝バスで湯殿神社本宮へ向かう。見渡す山々は紅葉が美しいが、参拝後、やがて夕日が沈むにつれ、むしろ寂寞の幽冥界に取り残されるような心地がしてきたのである。

画像「湯殿山神社」は山自体に神が鎮まるものとして人工的な信仰の場を作ることを禁じてきた。だから本殿や社殿がないのである。本宮と言っても威圧されるご神体はあるものの社はないのだ。
さらに  「語るべからず」
なのだ。
古来より、湯殿山神社とその周辺の詳細については、「語るなかれ、聞くなかれ」とされており、松尾芭蕉も『おくのほそ道』における湯殿山の部分については、「総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」と記し、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」と句を詠むのみにとどめた。

湯殿山神社本宮入口から驚異のご神体へ

鳥居からシャトルバスで10分ほど、本宮参道の入り口から歩くことになる。参道と言っても細い山道であり、足元に注意しながらを登ることになる。。
入り口には、ブナの森からこんこんと湧く手水や、湯殿山が丑年に開山したことから、牛の像が鎮座しています。
ここから先は撮影が禁止されている。画像
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岩に囲まれた小道の両側に背の高い竹竿が無数に並んでいる。竿のてっぺんに不透明な白いビニールでくるんだ得体の知れないものが飾られていて正直薄気味が悪かった。
いきなり想像を絶するご神体が現れる。古来から、出羽三山の奥の院とされてきた、その御神体は、熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な岩だった。温泉水の影響により生じた水酸化鉄がウロコ状の塊となって付着している。生々しい荒ぶる神だ。自然そのものを神とする日本人の信仰の原点。これが語ることを禁じてきた神秘かと言葉を失った。
画像参拝の前には、まず素足になり、御祓いを受けなければならない。 御祓所で小さな紙の人形(ひとがた)を受け取り、人形で体を拭い、我が身のけがれを人形に移し、最後にふっと息を吹きかけ、足下を流れる渓流に流がす。

諸々の罪汚れ 祓い禊て清々し
遠つ神笑み給へ 稜威の御霊を幸へ給へ
天つ日嗣の栄えまさむこと 天地のむたとこしえなるべし
あやに あやにくすしく尊と 
湯殿のみ山の 神の御前を拝みまつる

裸足でその巨大な湯の湧き出るご神体を参拝させていただいた後は、湧き出るお湯の足湯に浸かりました。

参詣を終え参籠所に戻ると山の嶺に月が顔を出していた。

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画像湯殿山参籠所
旅館でもない宿坊でもない、初体験だが参籠所である。
参籠所とは、一定の期間籠って神仏にお祈りする施設のこと。かつては行人、行者らの修行の場所であったのだろうが、現在は出羽三山信仰の参拝者だけでなく、一般の方も宿泊や精進料理を提供している。
朝晩食事の前に拝殿にて「お勤め」(正規の儀式名は知らない)がある。せっかくであるから夕方のお勤めに参加した。参加者は私たちだけの7名だった。のっけから神主さんの吹き鳴らす法螺貝に度肝を抜かれた。神の降臨を告げる験なのだろうか。神主さんって法螺貝を吹いたかな。そして祝詞が始まる。「かしこみかしこみもうす………」と普通の祝詞と変わらない口調だ。感謝と安寧の祈願だと思うがよくわからない。向かいには三つ「仏壇」がある。仏壇ではないのかもしれない(仕切りのない三つの本堂と言うべきか)が神事というより仏事めいた意匠であるからそう思う。三つの仏にそれぞれ祝詞を奏上する。「はらいたまえ、きよめたまえ」。わたしらは「頭を下げてください」と言われればそうするのだが………。作法よりは参加が大事だ。
明治以前、三山において神仏習合の信仰が盛んだったころ、羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、そして、当時三山のうちに含まれていた葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされた。一方、湯殿山は「三山」というよりもそれらを超えた別格のものとして、大日如来とされていた。こうして、出羽三山においては、観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、大日如来の境地に至って、即身成仏を達成するという「三関三渡」の修行が行われることとなった。この修行においては、裸足で御神体(湯殿山)に登拝することが、大日如来と一体になる行為とされ、非常に尊ばれた。
こういう説明があるから余計わけがわからない。三つの大きな仏壇と関係しているのだろうとは思うが、語ってはいけないことだから詮索はしないことだ。触らぬ神に祟りなしである。
実は朝のお勤めには早朝バスで到着した神奈川の一行が参加された。私たちも臨んだのだが、またビックリ仰天であった。この方たちは行人であって本格の信者さんたちらしい。中には赤ちゃんの大きな人形を抱いている方もおられた。そして一同が読経に和するのである。よく聞けばお経ではない、神への感謝のような歌に聞こえた。キリスト教の讃美歌に近い節回しで時々演歌調が入る。ご詠歌と讃美歌と俗謡が混じったような不思議な合唱を聞いていた。これは「知らぬが仏だ」。

料理は山菜と川魚。夕食、朝食とも大満足だった。

地下にある暗く狭い神棚付きのお風呂は身の引き締まる御神湯風呂という。ここで体を洗ってはいけない。羽黒にて現世、月山にて死後、そして湯殿山にて再生する。その黄泉がえりの地「湯殿」にて、ありがたい湯に浸かる至福の瞬間を体験した。

即身仏

ところで湯殿山は即身仏でも有名なところだ。全国24体の即身仏のうち6体は湯殿山にあるといわれている。わたしは2002年に湯殿山総本寺 大日坊 瀧水寺 (だいにちぼう りゅうすいじ)を訪ねたことがある。
これはその時の写真と説明書きだがやはり気味が悪い。
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人々を救済するため,土中に埋もれるなどして,瞑想状態のまま絶命した僧。また,そのようにして死んだ後,ミイラ化した身体。(大辞林)







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