飾り帯の宣伝文句には「ラストに明かされる衝撃の結末」とあり、前作の『犯罪』がとても魅力的な犯罪小説であったため期待をして手に取った。いくつかの出版社が企画した昨年度傑作ミステリーの上位にランクされている。
取りつく島のないもやもやの核心を読者としてはどうとらえたらよいのか?魅力的な文体に迷走させられながら、ゼバスティアン・フォン・エッ…
この作品、文体が奇妙なリズムを奏で、とらえどころのないストーリーの流れが、登場人物たちの織りなす意識の交錯を凹凸のない時空に描いて、なんともわかりにくい芥川賞なのだが、わかりにくいから芥川賞なのかもしれない。人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをと…
ところで「毒の針で刺青を刻むスキン・コレクター。すぐには殺さない。」だそうだが、「タトゥー」についての薀蓄に相当部分紙数を割いている。珍奇なピアス同様、ファッションの一種になりあがっている。一般的にはタトゥーパーラーと呼ばれる店舗でタトゥーアーティストがタトゥーマシン(タトゥーガンというヤクザな言葉は使ってはいけないのだそうだ。)で創り…
南都北嶺のカネと権威と暴力、そして鎌倉幕府、さらには朝廷と既存の体制の総力を結集し専修念仏を根絶やしにしようとする覚蓮坊の陰謀。この奸計から親鸞を守ろうと死力を尽くす謎の女・竜夫人。若き日の竜夫人と青年親鸞の深い因縁とは?竜夫人を支える葛山申麻呂の血筋は?
そしてついに再登場するサディスト。十悪五虐と自らうそぶき「信仰心などないこんな…
これまでの仏教は、国を守るもの、朝廷の安泰を祈るものであり、貴族や高家のためのものだった。そして浄土に行けるものはチカラやカネのある者だけだった。ところが法然、親鸞は貧しい人や世間から卑しめられてきた人びとのためにこそ仏教はある、これまで救われない罪深い身だとされていたものにこそ仏の道があると説く。身分や財力にかかわりなく南無阿弥陀仏と…
「危機に陥ったとき、お雛が呼ぶと現れる干兵衛の息子・蔵太郎と妻・お宵の幽霊。2人に助けられながら、干兵衛はいつしか自由党壮士と明治政府の暗闘に巻き込まれていた。お雛と平穏な生活を望みつつも、会津藩士だった頃の自分を自由党壮士の姿に重ねて心揺れ動く干兵衛。そんな中で<赤い盟約書>を巡って事態は急展開する!最後に干兵衛が選び取る運命とは……
山田風太郎の「明治もの」第二作は「週刊新潮」に1975年(昭和50年)より連載された
本著『幻燈辻馬車』。
冒頭、第一話「車の音が消えるとき」は明治15年、福島県令三島通庸(みちつね)の屋敷で開かれた大宴会。招待客の一員である三遊亭円朝のお家芸「真景累ヶ淵」の語りを枕にして「怪談噺と申すは近来大きく廃れた、幽霊は神経病だとして、…
東京を騒がせる怪事件の影で、知略によって警視庁を出し抜いてきた元江戸南町奉行の一派。業を煮やした大警視・川路はとうとう直接対決に踏み切る。同じ頃各地では、反政府派の反乱により不穏な空気が漂っていた
そんな中についに西郷蜂起す、との報が入る。その裏に隠されていた大からくりとは?そして近代化を巡る争いの帰趨とは………。華やかな明治に潜む闇…
山田風太郎といえばなんといっても「忍法帳」である。学生のころ「週刊新潮」に『くノ一忍法帳』や『外道忍法帳』が連載されていた。毎回忍者同士が奇想天外、抱腹絶倒のセックス忍法で死闘を繰り広げるのだ。なんて面白いのだろうと、その後忍法作品はほとんど読んでしまった。
だから水戸天狗党の乱をシリアスに描いた『魔群の通過』を読んだ時には、なんと本…
この年末、正月は特別休養をとってのんびりです。久しぶりに読書の時間ができました。
このところ連日、テレビのニュースワイドショーで怪しげに報道されている大阪門真市のバラバラ事件だがなんとも凄惨な死体損壊が行われたようだ。犯人はあらかじめのこぎりや包丁、小型冷凍庫を購入し、被害者をバラバラに切断、恐ろしいことに頭部を短時日で頭蓋にしたので…
三日目は「鳥海山山荘」をススキの原に見送られながら、もう一度鳥海山スカイラインへと向かったのだが、天気は無情にも濃い雲に包まれていて、途中で断念した。米沢市へ。
米沢城自体の昔の面影はまるでないのだが、ガイドの方の説明では石垣と土塁のに当時のものが残されているとのことだった。
ただこの城の歴史には深いものがある。
ここは米沢城…
今年の紅葉はいつの間にかに終わってしまったとの印象がありました。紅葉の名所と言われたところも、昨年に比べると、虫に食われたような穴開きの葉だったり、色づくまえに落ちてしまったり、鮮やかさには見劣りしましたが、秋を彩る主役には変わりがありませんでした。
10月以降に撮った写真をデジブックアルバムにしてみました。
10月1日 …
神田川の水源は井の頭池、妙心寺池、善福寺池とされているが、それぞれの湧水量はたかがしれていると思われる。流域から流れ込む水量とどんな割合になっているのかな?落合水再生センターの神田川水質改善への貢献は?放水路はどこにあるのか?そもそも再生センターの役割は?いろいろな疑問があって今日の見学会となったのです。
会議室で資料やパネルを見…
出羽三山とか出羽三山神社とか羽黒山の三神合祭殿とかややこしい関係だと思っている。出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山の総称だとはわかっている。それぞれの山頂に神社があり(月山神社、出羽神社、湯殿山神社)その総称が出羽三山神社なのだそうだ。三山のうち羽黒山には本来の出羽神社とは別に三つの社の神を併せて祀る三神合祭殿がある。どうもこういう整…
平成27年8月11日
第六回神田川逍遥会
本日のコース
神田川逍遥会のみなさま
酷熱の日々も峠を越えたかに思われますが、さてどうでしょうか。
先般のお知らせの線で下記の通り実施しますのでご参加ください。
この会の発足時の予定では6日間で全コース完了でしたが大幅に遅れております。
特に急ぐ気もありませんのでよろしくお願い…
江戸崎小学校の同期生7人で山形、福島をドライブしてきました。10月23~25日、二泊三日の旅でした。出羽の山々は紅葉が進んで、頂上付近は落葉していましたが、ドライブウェイは見事な秋景色のグッドタイミング。まとめ役の高尾君のおかげで史跡巡りも充実した見ごたえあるところばかり。大いに楽しんできました。
朝7時すぎ南浦和駅前で中村君、小林君…
柏橋から末広橋へ向かう。
また嫌な臭いが漂ってきた。末広橋の手前左岸に旧桃園川の合流口が見える。臭いの元だな。江戸川橋でもそうであったが、暗渠化して汚水が流れる旧河川の出口はたいがい汚臭がでている。神田川がきれいになったと言ってもまだまだやり残しいるところは多い。
桃園川は杉並区と中野区を流れる河川で全区間暗渠化されている。中野区内…
大江戸歴史散歩の会の新しいテーマは「江戸の水運・小名木川を歩く」だ。メンバーの一人、このあたりの水路の専門家である新居正夫さんのガイドでじっくりと探訪する。
10月14日 都営新宿線東大島口に集合して、小名木川が旧中川に接する中川番所跡あたりからスタートする。
ところで小名木川とはいったいどんな川であるか?
東京都江東区北部を流れ…
46番新堀橋から47番せせらぎ橋は近い。オヤ!蝉の鳴き声に混じって瀬の走る音が聞こえてきた。川床を見ると細かい段差が並べられ流れが音を奏でる仕組みになっている。粋な演出です。神田川を遡ってきましたが「せせらぎ」を聞けるところはあまりなかった。
せせらぎ橋
左岸に「せせらぎの里」公園(Click!」がある。子供達のための池や水遊び場が…
薄紅色の秋桜が
秋の日の
なにげない日溜りに
揺れている
コスモスが咲くころに秋が訪れる
コスモスは宇宙を意味する。
宇宙は流動する調和だ。
限りなく美しい。
静寂にして華やいでいる
乙女心の可憐なり
ちっちゃな夢を微笑んでいる。
日本のムスメにイタリアの教師が恋をしたという。
その教師が届け…
第5回神田川逍遥会は7月19日13時に高田馬場駅前に集合し、41番清水橋から59番淀橋までゆるりと神田川遡上を楽しんできました。予定では6日間で全コース踏破のはずが、まだ中間地点にまで到達していないという余裕しゃくしゃくの散策です。きょうはようやく一つの区切りである高田馬場を越えるんです。
清水川橋
神高橋から見ることができた清…
利根川氾濫の歴史は古いが幸手地方に関する史跡に権現堂川がある。利根川と中川の中間に位置する、利根川水系の一級河川(昭和46年指定)だが、 その実態は権現堂調節池である。権現堂川は暴れ河川として恐れられ、宝永元年(1704年)に、はじめて権現堂堤が切れてより、幾度も決壊をしてきました。
今では権現堂といえば春の“桜と菜の花”で有名…
関越自動車道東松山インターチェンジより西へ向かう。思いのほか勾配のきつい崖地、椚平の一画に秋海棠(シュウカイドウ)が群生している。9月11日は見頃だった。
高台のてっぺんで車道が突き当たったところに「くぬぎむら体験交流館」があってここで村の方が手打ちのヒモカワウドンを食べさせてくれる。ちょうどお昼時だったので、花めぐり前の腹ごしらえ。…
支流の探索が長くなってしまいましたが、このあたりで本流に戻りましょう。
高戸橋
江戸川橋より続いた緑の遊歩道と心和ませる川の流れはここで終わります。ここからは第一義的に洪水防止の視点で護岸壁を堅固にしている都市型河川の典型、「水路」が延々と続くことになります。
神田川も曲線を描き二つの橋が近接するなど高戸橋交差点へたどり着…
8月18日 キャノンカメラ教室・並木隆先生の指導をいただき花をテーマにした撮影会に参加しました。
見えるはずの富士山は雲隠れ、咲いているはずだっソバの花は苗木すらありませんでしたが、百日草、ひまわり、コスモスの鮮やかな色彩を楽しんできました。
アルバム・デジブックをご覧ください。
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「レンゲショウマが最盛期になりました」という報道があって前から訪ねたいと思っていた御岳山の群生地に早朝車で出向きました。
朝7時の始発ケーブルカーに乗ることができました。土曜日とは言え、この時間ですと混雑はなくゆっくりと山道での撮影を楽しめました。
高さは80センチ程度となり、丸い蕾をつける。赤みを帯びた光沢のある薄紫の上品で気…
水稲荷神社の境内入口、石段を上った左側に巨大な石碑が威圧するようにそびえている。
水稲荷神社のホームページによると
堀部安兵衛助太刀の場所の碑です。
元禄七年(1694)二月十一日のこと、安兵衛は市ヶ谷から喜久井町を通り、馬場下の小倉屋で、枡酒をあおると高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し相手方三人を切…
今年は7月19日と20日が高田富士祭で神田川逍遥会のメンバーTさんと二人で出向いてみました。
まず関連する古地図(click!)と現在の在所(click!)確認します。
境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。
むかし植木…
まず、古今の周辺の地図を見ておきましょう。古地図の中心部には小さく「三島社」とあるがこの場所に現在の水稲荷神社がある。水稲荷神社は、『江戸名所図会』に描かれた当時、「高田稲荷」とよばれていました。右下の小高い丘の上にあるのが、水稲荷神社(高田稲荷)で、ここは現在の早稲田大学9号館裏のあたりです。その右にある山は、高田富士で、水稲荷神社(…
豊橋
神田川30番目の橋です。河口から7キロの地点です。全長24.6キロですからまだ三分の一にもなりません。
なお」神田川は新宿区と文京区の区境を流れていましたが、このあたりから新宿区と豊島区の境を流れます。
ところで、神田川の風景は駒澤橋からかなり変わったことに気がつきます。江戸川橋付近の流れは淀んでいて濁っていましたが…
白樺 青空 さわやかな風
八ヶ岳の裾野 標高1250mに拡がる富士見高原花の里
ヒャクニチソウ、ユリ アジサイ 白樺、青空を撮影しに行ってきました。
2015年7月31日
下記 アルバム デジブックをご覧ください。
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胸突き坂
駒塚橋より目白台に向かって急坂が伸びている。「胸突き坂」というから苦しくなりそうだ。胸突き坂の左手には水神社、右手に関口芭蕉庵、坂を上り切ったあたりに永青文庫と文化史跡が連なり、さらに奥には講談社野間文庫、村上春樹が一時入っていたことで知られる男子学生寮の和敬塾を見ることができる。
メンバーのFさんはなぜか和敬塾に関心…
江戸崎祇園祭
京都祇園祭を象徴するものが山鉾なら江戸崎祇園祭はその上に乗って盛大にお囃子を競演する山車である。
今日は三日間の祭事の千秋楽で、8つの部落(あの頃はそう呼んでいた)が備える山車が巡行を終え、中心の交差点(四つ角と称していたが)に集まり、最後のお囃子を叩き合う。これが「叩き別れ」と言って壮麗なフィナーレを飾るのである。
…
7月15日からの三日間でしたが、東京の豪雨を尻目に、快適な北の夏を堪能してきました。
アルバム『北の花盗人』にまとめてみましたのでご覧ください。
デジブック 『北の花盗人』
画面は最大にしてご覧ください。
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6月27日。このところ雨の降り続く日が続いたが、今日は梅雨の合間というタイミングか、午後には降りやんでいた。第四回神田川逍遥会は江戸川公園入口に全員が集合した。
江戸川橋
江戸川橋は目白通りを渡している。北へまっすぐにいくと護国寺に突き当たって、かつては音羽通りと呼ばれていた。
「音羽通り」の由来
天和元年(1681…
中之橋界隈
新白鳥橋に続く19番目の橋がこの仲之橋だ
現代地図にも名前が表示されていない地味な橋だが、隆慶橋と石切橋の間で古地図には「中橋」とある江戸時代からの歴史をのこす橋だ。
橋の南詰に案内板がある。
「中之橋の由来」
この橋の架けられた時期は明確ではありませんが、江戸初期に(1670年ごろ)刊行された「寛文江…
船河原橋は神田川14番目の橋だ。5月24日、第三回の神田川逍遥会は暑い日だった。
飯田橋交差点陸橋から眺める船河原橋はいつになっても複雑だなぁ。人が歩けないという珍妙な歩道が見える。
今日はここから江戸川橋までを散策するが、川の流れは淀んで濁り、悪臭もある。首都高が流れに覆いかぶさっているので暗い。道路にはところどころでごみの山…
維新後、明治政府によって近衛師団の兵営地が設置された。このような地図で北の丸を鳥瞰すれば、中心に近衛歩兵の兵営があり、そこを取り巻くように営倉、病室、炊事場、体操場、火薬庫、練兵場が設けられ、東端には砲兵の兵営がせり出しています。完全に近衛連隊の特別な軍事施設だったんですね。
皇居と皇族の護衛、帝都の防衛が主な任務で、毎日2百名の…
誘拐されたアレックスは手足を縛られ、前こごみの姿勢のまま身動きの取れない狭い木箱に閉じ込められる。誘拐犯はお前が死ぬのは見たいと言って彼女がネズミに食われて死ぬのを待っている。10日以上もそんな状態が続けば、普通の人間なら気が狂って死んでしまうところだが、アレックスは死を目前に脱走を試みる………。
凄まじくサディスティックな犯人像…
飯田橋を徹底解剖してみようまずはわかりにくい飯田橋交差点です。
神田川逍遥会の第三日に当たります。
外堀通りと目白通りの交差点であり、かつ大久保通りの起点であり、さらに目白通りと並行して神田川の対岸の外堀通り(一方通行)も合流する「変形五叉路」になっている。
その複雑な交差点の直下が神田川と飯田濠の合流点となっており、その神田…
水道橋
神田川で11番目の橋だ。かつて「吉祥寺橋」と呼ばれている時代があったと言います。現在文京区本駒込にある吉祥寺が、天正19年(1591)から明暦の大火(1657年)で燃えるまでの間、水道橋北詰にあったことによるらしい。中央線に「吉祥寺駅」がありますが、あの一帯に吉祥寺というお寺は今も昔もありません。明暦の大火のあと、元吉祥寺周辺…
お茶の水橋から水道橋方面に外堀通りを歩く。緩やかな下り坂をお茶の水坂と呼んでいる。道路の右手に案内板があった。
お茶の水坂
この神田川の外堀工事は元和年間(1615-1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘二丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。…
昌平橋から聖橋へ向かうには神田川(仙台濠)の北側の相生坂を上れば途中右手に昌平坂を見ることができます。また南の淡路坂を通れば聖橋手前の太田姫神社元宮を見逃すことはありません。
さて今日4月13日は神田川逍遥会の遡行二日目でM1さんとNさんはあいにく都合がありましたが、ただNさんは反省会には駆けつけるそうです。予定通り御茶ノ水駅聖橋口に…
江戸を知るには神田川を知らなきゃならぬ。神田川を知るにはまずは東京水道歴史館である。
[江戸っ子は水道水で産湯を使い」
とそれが江戸っ子の自慢だったそうだ。映画でみる庶民の長屋風景には井戸端が出てくるが、あれが掘り井戸ではなく水道の出口に当たる井戸だと知ったのは最近のことだ。
江戸の町に住む人たちの飲料水は水道により運ば…
万世橋はかつて現在の地にはなく、約150m上流に筋違橋門(すじかい)に付属する筋違橋がありました。この筋違橋と昌平橋、万世橋は架橋の経緯がたいへんややこしくなっています。
今はない筋違門とは
寛永13年(1636)加賀百万石の三代藩主・前田利常が築いた。歴代将軍が大手門から神田橋門(江戸六口)を通り上野寛永寺や日光東照宮へ出…
満州国の誕生から崩壊まで。五族協和の夢が骸としてさらされるまで。侵略を美化する八紘一宇の驕りと欺瞞が完膚なきまでに叩きのめされるまで。「満州国演義」はここに完結した。3月には日本ミステリー大賞を受賞している。
読み終えた昨日のこと、日経紙夕刊に病床にあっても元気な様子の船戸与一さんへのインタビュー記事が掲載されていた。
今回も北…
松永富士見さま
句集『魂の一行詩 バレンタインデー』の刊行、おめでとうございます。
素晴らしい十年の集大成ですね。
タイトルにある「魂」とは全人格であり、全宇宙のことでしょう。これを短い言葉で表現することは並大抵ではありませんが、あえてタイトルにしたところに、居住まいを正しあらためて俳句と向き合おうとする松永さんの気迫が伝…
古地図を見れば。
浅草御門から筋違御門(すじかい)までは、北岸には船荷の集積地である「河岸」が連なり、いまでも神田佐久間河岸と呼ばれる。南側は土手が築かれていた。土手上には柳の木がずらりと植えられて、柳原土手とか柳原堤と言われていた。
北も南も町家が広がりを見せているが中で「伊勢津藩主・藤堂和泉守高猷(たかゆき)」の大名屋敷が目立っ…
武道館まえの大駐車場の奥に戦後20年間、学生寮があったという。その当時、学生の自治寮といえば学生運動の根城だったろうに、そんな左翼のアジトが皇居という対局の懐にあったとは全く知りませんでした。これこそ獅子身中の虫だったはずだが、当時東京の学生であったわたしには各大学にあった学生寮はともかく、ここになんかのセクトが住み着いて騒動があったと…